新着情報ページ

民事訴訟における裁判官と弁護士の対話2017年12月02日

昨日鹿児島で実施された,日弁連ツアー研修「民事訴訟の定石と極意-裁判官と弁護士の対話から-」に参加してきました。

講師は当業界ではおなじみの,加藤新太郎 元東京高裁民事部総括判事(現弁護士)と,司法研修所の民弁教官の経験もあり,法務研究財団等でながく研修にも携わっておられる馬橋隆起弁護士による「対談形式」というこれまでなかった斬新なもの。

民事裁判全般における裁判官の考え方や,弁護士から見た裁判官への疑問・質問,あるいは裁判官から見た弁護士の問題点を,法曹として約40年のキャリアを持ち,研修や後進の指導にも造詣が大変深い講師の対談で解き明かしていくというものでした,

3時間にわたる長丁場の研修でしたが,対談形式ということもあり,メリハリのきいた進行であっという間に終わった,もうちょっと話を聞いてみたいという感想が多く寄せられました。

内容も多岐にわたる有益な示唆ばかりで,ここですべてを紹介することはできません(同業者の皆様はぜひ後日配信されるeラーニングをご視聴ください)が,いくつか印象に残った話をご紹介します。なおかっこ内は私の感想です。

「裁判官の心証が読めない,予想と違う判決が出る」という話
→ 裁判所の心証を的確に把握できていないのは,弁論準備の中で裁判官との議論が足りないからではないか。もっと議論して,事実について裁判所と双方代理人で共通認識を持つべきである(まさにその通り)
→ 自分側の証拠の過大評価や,相手方の立証を過小評価していないか(これは痛い指摘だと思います。当事者は証拠を読み込んで,これで行けるとおもって提出しているので,どうしても過大評価しがちです)

「陳述書と主張書面,尋問の棲み分け」
→ 主張書面は事実を法的に再構成した主張をし,陳述書は法的に構成する前の生の事実を時系列に沿って網羅的に記載し,尋問では重要な部分を掘り下げて質問するべし(言われてみるともっともですが,実際には意識しないとできていないかも・・・)
→ 陳述書は同じ事実でも評価の方向性で真逆の意味にできる。上手い陳述書は間違いなくある(これもそのとおりで,意識しないと陳述者の意図と違う趣旨にとられることも)。

「よくない代理人」
→ 事前の依頼者へのアドバイスが奏功しなかった場合に,これを批判されたくないのか代理人が当事者化して一定の見解に固執する場合がある(確かにある)
→ 依頼者に証拠収集や陳述書作成を丸投げして,虚偽の証拠が出てきたこともある。原本の有無や内容は裁判所は強く意識するので,代理人も原本をきちんと確認すべき(これは怖い)

「よくない裁判官,よくない判決」→ 印象に従って結論を決め,それにあう証拠だけをつまみ食いする「自由印象主義」,証拠の多い方や声のでかい方を勝たせる「重量心証主義」,裁判官の正義感が過度に発揮されて,法的要件ではなくフェアかどうかで勝敗を決める,ということをしないよう常々指摘しているとのこと(これは多くの弁護士が「なるほど」と思ったようです)

……などなど,ある程度のキャリアのある弁護士はもちろん,経験数年の若手弁護士こそ,今後の的確な訴訟活動のために是非受講してほしい内容でした。
我々弁護士の仕事は,「依頼者の声を裁判所に伝える」「裁判官を説得する」ことなのですが,言いっぱなしで自己満足に陥るのではなく,主張の受け手・説得の対象である裁判官の思考を理解し(研修では裁判官の思考をトレースすれば予想外の判決は出ないとの指摘も),裁判官に確実に伝わるようにするために,このような研修は必須なんだろうなあ,と思うところです。
copylight